十可苑の歴史

10代藩主・鍋島直正が秋に
鮎簗や鵜飼を楽しんだ
十可亭跡地、十可苑。

十可苑は、10代藩主鍋島直正が秋の寒露の季節に楽しんだ鮎簗や鵜飼の名残を持つ場所です。直正の別荘である十可亭は、30~40坪ほどの建物で、川上の美しい景色を一望できました。その跡地が現在の十可苑になります。

金立山から流れ出る水が「孫の滝」となり、家来がその水を汲み、姫君がお茶を点てられたと伝えられています。古代から金立山には「不老不死」の薬草があると言われ、その水でできたのが「孫の滝」です。この滝の下に建てられた十可亭ともに、由緒ある場所です。金立山(金の立つ山)から縁起のよい孫の滝の水に触れて、運気を高めてください。

十可苑には、鍋島藩主の歴史にまつわるスポットが各スポットに散りばめられています。
当時の鍋島藩主の歴史を感じながら十可苑をお楽しみください。

Nabeshima Naomasa

鍋島 直正

(1814年 - 1871年)
江戸時代末期の大名
肥前佐賀藩 10代藩主

1814年に誕生した直正は、1830年に父鍋島斉正の死去に伴い、わずか16歳で藩主となりました。彼は藩の財政を立て直すために内政改革に尽力し、特に産業振興や教育の充実に注力しました。また、西洋式軍備の導入を推進し、佐賀藩を近代的な軍事力を持つ藩に育て上げました。これにより、幕末の動乱期には佐賀藩が重要な役割を果たすこととなります。

直正は教育を重視し、自ら学問を奨励するために「弘道館」を創設しました。ここでは多くの人材が育成され、後の佐賀藩士たちの活躍の基盤となりました。また、蘭学を学び、西洋の技術や知識を積極的に取り入れ、国内外の有識者との交流を深めて藩政に反映させました。

明治維新においては、新政府に協力し、その功績を認められました。1871年に死去した直正は、佐賀藩を近代化し、明治維新の成功に寄与した名君として評価されています。彼の改革と教育の努力が、後の佐賀藩士たちの活躍を支える基盤となりました。

学問運向上の神様が宿る

通称「もいっさん」で知られている。乙文殊宮は文殊菩薩を本尊とする神社である。
文珠菩薩は知恵を象徴する仏であるところから、学生や試験合格祈願の参拝者が多い。